戦い済んで、死後事務へ
戦い済んで遂に、仙台育英高校の仙台初の全国高校野球優勝の瞬間を見ていた。試合開始の時に外出して、大阪城前の家庭裁判所に向かった。車の中ではスマホで何度も経過を確認して、家庭裁判所で手続きが終わって休憩室で一休み。帰りながらいよいよの瞬間を見たいとドラッグストア店の駐車場に停車させて、その瞬間を車の内臓TVで見た。
優勝した瞬間より、仙台育英高校の監督のインタビュー
「宮城のみなさん、東北のみなさん、おめでとうございます!」
流石の私も、目頭が熱くなった。
あの幕末に今の山口県長州から賊軍の汚名をきせられた恨みを、少しは晴らした。
次は、宮城県出身の総理大臣の誕生だ。
優勝に沸く仙台駅前では、号外を得たい市民で溢れていたと言う。
ケアプランセンターのケアマネージャーから、先日依頼のあった葬儀保険活用の死後事務について訪問することになっていたが、追加で連絡があった。
「その方のお子様が障害を持っていて、先日お亡くなりになりました。息子さんは他県の施設に入所されていて成年後見人が付いていました。亡くなった時に、預貯金が残っていて、その相続手続きも佐藤先生にお願いしたいと思っています。」
「後見人は、司法書士とか弁護士さんがついていたんですか。」
「付いていたんですが、自分はこれ以上手続きは出来ないので、近くの方に頼んで下さい、と言われました。」
「分かりました。大丈夫ですよ。」
それにしても、介護関係者と接する時には行政書士である事を伏せているのだが、もう、周知されているようだ。
考えてみれば、現在、4人の方の相続手続きを並行して行っていて、これにもう一つ加わるのは、自分はもうノンビリしたいと思い始めているので、少し気が重い。
請求書を下さい、と言われている方への請求書をやっと作った。金銭的なものに執着がなく、仕事をすること、新たな事案に対する解決策を探ること、それが楽しいのだ。
要求されて1週間も経過して、やっと50万円もの請求書を作成したが、まだ、他にもある。今日、依頼のあった案件でも、そんなに取るつもりはないので数万円で終わるような気がする。
苦労して、女手一つで育てた障害を持っているお子さんが亡くなって、身寄りが誰もいなくなって、死後事務をきっちりしないと大家さんから出てくれるように、と言われていると言う方は、既に高齢の域に達している。
負担を極力減らす死後事務契約は出来るが、その執行人の私も既に高齢者なのだ。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。