行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

歌は歌詞に思いを

 毎日、急な仕事が入らない限りYouTubeで音楽を楽しむ。殆どが、仙台市での中学生時代から結婚する辺りまでの1960年代後半から1970代の懐かしい歌の数々だ。

 中学生時代は、御三家と言われた橋幸夫、舟木一夫、西郷輝彦がそれまでの戦前戦後の正統調の歌声とは異なった明るい歌声で時代が大きく変わった。

 子供の頃、未だ、テレビがなかった頃からテレビが普及し始めた頃はラジオから流れていた歌が記憶されている。美空ひばり、石原裕次郎、三橋美智也、春日八郎、島倉千代子、などの歌が流れていた。

 ザ・ピーナッツが出てきて、橋幸夫が「潮来の伊太郎」で、歌詞は旧来のものだったが歌調は大きく異なっていた。最近でいえば氷川きよしが「箱根八里の半次郎」で出現した時と似ているのだろう。

 その後、歌謡曲は御三家、そうして新たな分野として、PPM(Peter Paul &Marie)などの外国からのフォークソンが入って来て森山良子さんが衝撃のデビューを「この広い野原いっぱい」で果たす。一方、加山雄三さんが、これ迄に無かったサウンドでヒット曲連発します。

 そうして、ビートルズの影響か、日本にもGS(グループ・サウンズ)が音楽界を席巻をする。

 私が、音楽に親しむのは、この時代のフォークソングの詩と曲と歌手が程よくマッチして、その頃の曲が今でも飽きずに聴き惚れてしまっている。

 「この手のひらに愛を」「若者たち」「君についていこう」初期の頃からフォーククルセダーズの「あの素晴らしい愛をもう一度」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野を目指す」などは今でも、何度も聞いている。

 私が一番最初に手に入れたレコードは「学生時代」ペギー葉山さんだった。中学三年生だった。

 ちなみに、その通学した中学校がNHK全国音楽コンクールで第一回優勝校だった仙台市立五橋中学校だった。NHK合唱コンクールで検索すると出てくる。何度も優勝校となっている。その優勝校となる為に日常の努力は大変なものだった。

 また、エピソードとしては、御三家の舟木一夫さんの奥さんは、五橋中学校の同級生なのだ。

 あの当時の学校生活とクラブ活動や友人との交流は、私の人生の大きな財産となっている。この数年の生活が私の大事な思い出となっている。この思いが、毎日のYouTubeに繋がっている。

 思いはいつも仙台市に向かって駆け巡る。自分の人間形成に大きな影響を与えている。歌声だけでなく、教師や友人や教育や自然も地域も環境も歴史も何もかもが私を育ててくれたと感謝している。

 なので、人生の最後は仙台市に戻りたいと願っている。

 今、好んで聞く曲、例えば「遠くで汽笛を聞きながら」を取り上げると、歌詞の「何もいい事がなかったこの町で」という部分が今の自分に合っているので、そこを聞きたくて何度も聞いているのだという事が分かった。

 四六時中聞いているさだまさしの「案山子」や「あの素晴らしい愛をもう一度」は、歌詞全体が自分が求めているのが表現されているのだと、自分を分析している。

 さて、今日もいつもの時間に出勤している。6時半には仕事を始めている。メールなど、仕事に直結していない時間を過ごして気付くと9時近くなっていた。

 不味いと思って、昨日から始めようと思っていた、国土交通省と大阪府への同じテーマの令和4年度居住支援実績報告書の追加データ作成のソースデータを作るための資料を探して、実作業に移る為の準備をし始めた。

 そこから、ひたすら作業を12時前まで続けて、大阪府への報告書を終えて送信した。国土交通省分は、未だかなりの追加作業があるので明日も続けて行って終わるかどうか。

 12時に、もう少し時間があったので、相続手続きで聞いていた事と異なっていた不動産登記簿謄本を取得して分かったので、その点を尋ねるのと訪問日程調整でメールを依頼者に送った。

 そのやり取りがスムーズにいかない。夕方か




ら夜に掛けてやっと訪問日程を決めて終えた。