行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

 盲目で難聴でも、心は故郷に還っている。

朝早くから、作日頂いたメールへの返事を順次書いて、送信した。
 最初は、非正規で勤務している行政書士の先生へ。当社の精神的支柱であり、自然と皆の尊敬を集めている。その先生から、昨日メールを頂いたので、返事をしたためると共に、住宅供給公社からの依頼を伝えて協力を求めた。
 続いて、保険会社の変更を予定している成年後見損害保険申告書作成して送付した。
 次は、今日締め切りだったCBへの高齢者住宅関係の運営を求める事業者募集への応募。
 続けて気を入れて住宅供給公社への依頼の御礼と日程候補のメールを送信した。
 保証人パンフについて原案を作成してくれた協働事業者への修正依頼などのメール返信。
 この歳になって、皆さんのお陰様で、良い夢を見させて頂いている。
 午後から、超高齢で視覚及び聴覚に障害がある方の生前及び死後事務につき九州地方の親族から依頼された委任状の作成と、事前に確認して頂いた当該事務委任契約書をコピーして収入印紙を貼付して、行政書士職員で割印したものを3通作成する。
 11時半に、一旦マンションに昼食に戻る前に、息抜き30分程度音楽を聞いた。
 いつもなら歌だけだが、この日は主題歌の動画を見ながら聞いた。
 「俺たちに旅」を見ると、込み上げる懐かしさが抑え切れない。放送は1976年となっている。私が高校を卒業して就職したのが1970年だから、既に24歳になっていて結婚した年である。
 当時は多忙で、全くと言って良いほど見ていない。もう46年前の放送だ。主題歌は四六時中聞いている。主演の中村雅俊は同じ宮城県出身で同じ71歳で同じ年に上京した。
 午後からの面談は、障害があっても分かる工夫をしてご本人と九州の親族が同じ曜日の同じ時間に電話をする事になっていて、それが通じていると玄関の鍵が開けられている。
 果たして、戸は開いた。大きな声で説明する。途中から、補聴器を装着するが、
 「頭が痛くなるので、簡単に話してくれ。」
 と、言う。
 委任状に内容について、九州の親戚に全てを委任する概要を説明した。生前及び死後事務委任契約については、以前に親族に送付して了解頂いているので、実印捺印だけだ。
 了解を得て、私が捺印代行を行った。この日作成されたものは、このまま九州の親族に送って捺印を頂いて終わる。
 頑固で、帰郷を促し、九州から迎えに来ても家族でもないので迷惑を掛けたくないと応じる事なく、
 「遺骨になったら故郷のお墓に入れてくれ。」
と言われている。
 目が見えなくても、耳が聞こえなくても、心の目で故郷が見えて既に気持ちは帰郷している。それで良いのだ。