行政書士から拡張業務へ

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仙台七夕2日目。七夕の思い出。

 仙台七夕2日目です。
 私が生まれてから仙台で過ごしていた子供の頃は、各町内会の子供会が集合して七夕の飾り付けを作りました。短冊や吹き流し、千羽鶴などおしゃべりしながらお姉さんやお兄さんに分担された作業を楽しく作っていました。
 手元に、白黒の子供会の集合写真が有りますが、近くの旅館の大広間に立錐の余地も無いほどの子供たちは重なり合う様に座っていて、その写真は顔が頭の間から映るのがやっと状態だった。
 そんな大勢いた子供たちは、今やほんの僅かで子供会もあるのやら無いのやら。各町内に、あの当時あった七夕の飾った竹も町内には見る事が出来ずに、仙台市中央の繁華街で華やかさが増している。
 私の子供時代は、毎


年300万人以上の観光客が押し寄せていた。バブルがはじけてから200万人前後となった。
 あの、NHK大河ドラマで歴代№1の視聴率を誇る「独眼竜政宗」のお陰で、仙台市の知名度が向上した。高校の後輩のサンドイッチマンや羽生結弦選手の活躍や、卓球の福原愛ちゃんや在籍していた荒川静香選手、ダルビッシュ投手、大魔神佐々木主浩投手、ゴルフの宮里藍ちゃんなど、市内を歩けば有名人に会えて、気さくにサインをしてくれたと友人に聞いた。
 七夕前夜の花火大会も、多くの市民が路上に縁台を出したりゴザを敷いて夏の夜空に開く花火を見入って涼を得ていました。
 私が過ごした町内では、広い道路に幕を張ってスクリーンにし映画を上映していました。みんな椅子を持って来て座って見ました。
 時には、今で言う旅芸人による芝居も行われていました。その旅芸人の名前を覚えていて、ある時に大阪でケアマネージャーとして訪問し利用者と話しをしている時に、旅芸人をしていたと聞いて芸名を聞いて、何と、私が記憶している座長の弟子だということがわかって、驚きました。
 この時期に合わせて、各町内にあった神社でのお祭りが行われて、連日の様に各町内のお祭りに出掛けて行ったものでした。
 帰省するたびに、神社のあった地域を訪れて見ると、神社の敷地が大きく狭まっていて、僅かに祠や本堂が残っているだけで、お祭りは行われなくなったのだ、と認識した。
 子供の頃の記憶は沢山あって、大きく近代化した市内の景色や学校の木造校舎が無くなり、シンボルだった大木が切り倒されて、校庭が小さくなって、自分の時代は終焉したのだと知った。
 明日はいよいよ仙台七夕の最終日だ。