仙台市での開所式に、初恋の記憶を尋ねて、無銭飲食に遭遇
新宿での起業コンサル養成セミナー受講者仲間に仙台市から来て居る方がいて、その彼が新たにビル一棟を活用して起業支援の中心を作る事になって、そのお披露目開所式があった。声を掛けて頂き、故郷仙台市という事で、迷う事なく参加する事にした。
昨夜、仙台に到着した。今日は、いつもの美味しい仙台や宮城の食材を踏んだんに使った美味しい朝食を頂いて、活力を付けて徒歩で開所式会場に向かった。十数分で会場ビル前に着くと、丁度、主催者の彼がビルから出て来たのと出くわした。会場の5階にて、一番乗りだった。スタッフに紹介して貰って、最後方の席に着席した。
パンフレットを見て居ると、大きな声を掛けて来た人が強く肩を叩いて来た。なんと、新宿でのセミナー講師だった。同じ受講生が4人と先生が大阪や京都、東京から駆け付けて来た。続々と招待者が来て、30席くらいの会場は満席となって、何人かの多くは入口の外に立つ盛況ぶりだった。
型通りの主催者挨拶や招待者代表の挨拶など続く。幾つかの階に分かれて居る施設を内覧して、私は会場を後にした。名刺ケースを置いて来て挨拶を受けても名刺を差し出す事が出来ず、なので自分から動く事はしなかった。歩いて、戻ってそのまま私が一番印象に残って居る地域に歩いて向かった。
通学した中学校まで、駅から歩いて10分程度で、その近くに大きな結婚式場を併設した魚屋さんだった所で、魚を中心とした食堂が有るのをネットで検索していたので、昼食を食べに来た。
早速入店した。人は誰も居なかった。テーブル席が10席とカウンター席が5席位だった。串刺しした秋刀魚や鯖を店頭で焼いていたおじさんはもう引退して居るはずなので、後継のおじさんとおばさんが回していた。銀鱈焼き定食とアジフライの単品を頼んだ。美味しかったのは当然だった。誰も居なかった店に次々とお客様が入店されて、忽ち満席になってしまった。
満足して、店を出て街を歩いて懐かしい思い出を弄って感傷的になった。大分歩いて、広瀬川河畔に近い静かな住宅街と東北学院大学が挟んでいる道を、歩く。途中、立派な教会があった。私が小学生6年生の時の隣の席に居た女の子は小学卒業と同時に、キリスト教系の女子学園に進学して顔を見る事は無くなった。
最近この地域の地図を何度もスマホで見ていて、教会がある事を知った。この地域に来る機会があって、彼女と顔を合わせて会話する事が度々あった。その場所が、何と近くのお寺の境内だったのだ。そのお寺にも足を伸ばして記憶を弄った。歩き続けて東北大学正門を通過して、近くの市民センターでトイレを借りた。徒歩が厳しくなって、休んだ。
ここまで来て、避けられない伊達政宗公の墓所である「瑞鳳殿」に重い足を引き摺って向かった。厳しい階段を頑張って登る。多くの観光客が険しい坂を登って行く。膝が痛い。無理して頑張ってやっと到達する。政宗公にご挨拶をして、関わりのある人たちの安寧なる生活の維持を願った。
杉木立が林立していて、昼間でも薄暗い墓所だった。政宗公が自分が死したらこの地に埋葬する様に言い残したと言う。静かな黄泉の国で過ごしたかったのか。
もう足が動かず、やむを得ずタクシーで戻った。体力の回復を願って休養をした。どうしても今日中に牛タンを頂きたいのと光のページェントを見に行きたい、との両方の夢を叶えるために、仙台市が誇るアーケード街を歩き出した。直ぐに牛タン屋が目に入ったが、過ぎた。次も直ぐに現れたので、時間を考えて並んで入店した。
やっと席に案内されて、事件が起きた。個室的なスペースにテーブル席二つ並んでいた。隣の席に印象の悪い2人が座っていた。暫くすると、2人が戻って来た様で4人になった。殆ど会話らしい会話が無く、4人が一斉に席を立った。席には食べ終わった空の食器やグラスが沢山残っていた。
店員が慌てて居る様に見える程で来て、4人一斉にタバコを吸うのに外に出るわけない、ほんとうに出て行ったのか、などと言いながら、テーブルの下や座席の周辺を確認していた。店員の何人かが、来ては何らかのパフォーマンスをして、戻るを繰り返していた。どうやら、会計せずに逃げた様だ。こんな場面に立ち会ったのは、初めてだった




このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。