行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

思い出に

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 纏まった仕事もせずに、午前中5時間の事務所での時間を終えてお昼にマンションに戻って来た。昼食は、決めていたプランでカワハギの鍋にしようと、水を張った鍋に固形の素を3個投入して、豆腐、カワハギ、ネギを2本入れて冷凍庫のあるつみれを探した。ジップロックにそれらしいものがあったので、全て鍋に放り込んだ。

 暫くして、火が通ったのを確認して器に移そうとすくった。何となく、浮いていて違和感があった。まるで麩の様な感じがして、手で触ってみると簡単に潰れた。おかしい、とよく確認した。何と、冷凍してあった細切れのバナナだった。つゆをすくって味見した。バナナの味が強く出て、バナナ特有の苦味と甘味が混じって変な鍋になってしまった。

 仕方がないと、そのまま不味い鍋料理をおかずに昼食を頂いた。問題は多く作った残りの処分である。勿論、食べない選択は無いので、メインのおかずを作って味噌汁代わりに頂こうと考えた。煮立った時に、ツユが黒くなっていたので、変だなと思った。失敗して、不味いので記憶に刷り込まれた。

 なので、夕食は冷凍庫にあったカニ🦀クリームコロッケを小ぶりだが3個揚げた。美味しかった。失敗バナナ鍋は大量に作ったので、味噌汁代わりに食べた。本当はおじやにしていた筈だった。

 昼の1時半に眠ってしまった。3時に目覚めて、全く面白く無いテレビに、しかし、眠ってしまっていたので眠くも無い。思案した結果、昔のドラマをiPadで見ることにした。直ぐに思い出した見たいドラマは、片岡鶴太郎主演「季節はずれの海岸物語」だった。見れるかどうか、検索したらヒットした。最終回にアクセスして、見始めた。31年前の放映だった。共演の可愛かずみさんの懐かしい、文字通り可愛い笑顔が嬉しかった。32歳で、マンションから投身自殺を図っていた記憶が蘇った。

 あの当時は、私も40歳代でバブルが弾けて不況にどっぷりと浸かっていた。不安定な環境だった。証券会社に在籍していて。直前までバブル景気でどんちゃん騒ぎが嘘の様に沈んだ時代だった。山一証券や大手銀行が立ちいかず合併合併で名前が次々と消えて行った。住友銀行、三井銀行、三和銀行、第一勧業銀行、大和銀行、太陽神戸銀行、東京銀行などの都市銀行だけでは無い、国策銀行の日本興業銀行、日本長期信用銀行、日本債券信用銀行、などの名前が無くなった。

 いつ自分の所属している会社が無くなるのか、日本全国のサラリーマンが精神的に追い詰められていた時代だった。私も、定年までこの証券会社で勤務するつもりだった。それが、一転して総会屋との癒着が発覚して社長が国会に証人として呼ばれて、信用が地に落ちていよいよと言う世間の評価だった。退職しても、不況で働く先が得られない可能性があって、どうしようかな、と熊が目の前に立ちはだかった状態で万事休止だった。

 それでも、最良の手を打とうと無い頭を働かせていた。そんな時に、不定期的に放映された季節はずれの海岸物語」が、殊の他気に入って楽しみに見ていた記憶がある。片岡鶴太郎の成就しない恋愛物語が、当時の八方塞がりの環境にあった自分に合っていたのか。

 この時代、仙台市を舞台にした「ずっとあなたが好きだった」も見始めていた。賀来千香子主演だったが、つまらなくなって途中で見るのをやめてしまった。しかし、昨年、思い出して今日の様にiPadで最後まで見てしまった。続けて、「男女7人夏物語」を見ていた。私が東京で働いていた時代は、時間的余裕がなくて働きに働いて、常に疲れていた時代だった。なので、世間の歌やドラマを目にするより眠っていたかった。最近になって、当時の世間の人に追い付く事になって居る。

 そう言えば、先日、三輪さんと食事をした後喫茶店でお話ししている時に、突然、私の結婚した当時の馴れ初めを聞かれた。戸惑いながらも、思い出した。あの頃は、未だ、22,3歳の頃で、恋愛などとは無縁だと決めつけて結婚など出来ずに人生は終わるのだろうな、と決めつけてただ生きているだけで儲け、だと思って仕事だけに邁進していた。

 しかし、神は私に夢を与えてくれた。何故か、仕事を真剣に考えて真面目にしているだけで、相手からアクションを起こして来る環境に置かれていた時代だった。秋田県大曲市迄連れて行かれて親に合わせられたり、一人住まいを始めた部屋に突然荷物を持った人が会社を辞めたから寮を出て来て泊めてくれと転がり込んで来たり、会社帰りに駅で待ち伏せされたり、会社の飲み会で誘われたり、当時はモラルも破壊されていた時代だったかも知れない。

 そんな時に、先輩を通じて話があったのが今の妻であった。付き合って1年後に結婚する訳だが、結婚出来ない最後まで一人で生きる諦めがあったのに、可能性が生まれると結婚まで作戦を立てて結果を得られるまでは、大変な頭を使った記憶がある。相手の親は、次々と見合いの話を持って来る。もしかしたら、見合いをして受け入れるかも知れない、と不安ばかりだった。

 当時の22、3歳の私には金銭的な余裕は無く、結婚など考えられなかった。そんな中、24歳の年の初めに妻の10月の誕生日が日曜日だと知って、結婚式をこの日に決めて結婚したいと申し込み、親の承諾を求められて妻の実家に向かうのである。入籍日を7月の私の24歳の誕生日にした。東京の銀杏並木で有名な日本青年館にて結婚式場を確保して、順当に進めて行った。

 新婚旅行は、沖縄へ行ったが、友人が近畿日本ツーリストに勤務していたので、格安でチケットやホテルを確保してくれた。

 そんな思い出が、蘇った三輪さんの突然の質問だった。認知症予防に一番効果的な回想法を用いた治療に向けた三輪さんの優しさだった。