今冬、初めて雪が舞うのを見る
一昨日、新聞の片隅に「アイ・ジョージ」の死去が報じられて居た。亡くなったのは1月18日と書いてあった。どうしてひと月も前に亡くなって居たのに、報じられて居たのが2月22日と、遅かったのだろうと思って、調べてみると孤独死で、発見が遅く死亡日時を確定するのに時間を要した様だ。
私が子供の頃に、歌手や俳優として活躍して居た。歌では「硝子のジョニー」だったと思う。紅白歌合戦にも長い期間出場して居た。昭和30年代の事だった。本名は石松譲治で、石松の頭文字「I」を「アイ」として芸名とした様だ。ハーフで苦労したとのエピソードを薄っすらと記憶している。
この頃、同じハーフでは「遠くに行きたい」歌ったジェリー藤尾が居た。また、苦労した人生を映画にした「こまどり姉妹」の映画をよく見に行った。
小学生の頃で、歩いて入場料30円を持って映画館迄行ったのを覚えている。あの当時は、娯楽は映画くらいしか無く、映画館はいつも満杯で溢れて居た。毎週の様に行った記憶がある。一人で見に行った。
テレビで放送して居た連続番組を映画で総集編のようにして、映画館で上映して居た。月光仮面や風小僧など、ワクワクしながら映画館目指して3、40分は歩いて向かった。スクリーンがあった舞台の上の両端にも人が溢れて座って居た。
私の映画熱は冷めやらぬまま、中学生迄続いた。段々と時代劇に向かって、忠臣蔵や清水次郎長、柳生武芸帖など時代劇に向かって行く。中学生になると、若大将シリーズやゴジラやモスラなどの怪獣モノや森繁久弥の社長シリーズなど娯楽映画に傾倒して行く。
私の兄は、ベンハーや十戒などの70ミリ大作と銘打って居た洋画をよく見に行って居た。私とは性格が違って居た。私は、人情物や仇討ちの様な分野を好んで観に行った。なので、性格形成にも段々と影響を受けることとなった。
久々にアイ・ジョージさんの名前に触れて、彼の活躍して居た時代を思い出した。
今日の午後、女子社員からメールが来て父親の死を告げて来た。彼女は苦労の連続だ。私の貧乏話などの屁の突っ張りにもならない。両親とも寝たきりだと聞いて居た。一日に何度も痰の吸引を行う。ヘルパーさんに介護をお願いしながら、当社の勤務は日によって朝早くから深夜にまで及ぶ仕事を進んで対処している。
その上で、自分は癌に罹患して居た。加えて交際して居た男性も癌に罹患している事が分かってから結婚した。旦那さんは、勤務先を退社してアルバイトをしながら夫婦力を合わせて支え合って生きている。両者とも、私が運営して居た職業訓練校の卒業生だった。
メールをくれた女子社員へは、哀悼の意を表して、落ち着いたら弔意を形に表したいと思います。
朝一番に、女子社員が私の居る事務所に来た。フランスに移住している娘さんが出産の為に実家に一時戻って来るという。なので、少し有給休暇を取得したいと言う。勿論、家族にとっては大事な時間なので、快く了解する。
先の彼女は、同僚にキツく当たられて居た。集団で、イジメという状態だったと認識して居た。その急先鋒が、目の前にいる彼女だった事を思い出した。私に対して、如何に彼女が劣悪な問題社員かと報告に度々来て、退職させないと会社や同僚に迷惑をかけると何度も告げに来た。数年続いた。
その言葉を全く受け入れなかった。彼女の勤務態度は、他の非難する同僚とは比較にならないほど真面目で、ミスはあったものの許容範囲だった。私の性格上、勧善懲悪の映画の影響なのか、如何に多くの意地悪な者たちへの排除を運営に支障のない様に遂行するかだった。
奴らの意に沿わない運営をするので、自分達の悪事が露見して法人運営上マイナスになるという判断で、スターリンに習って一人づつ放逐して排除する。
そんな歴史を思い出した今日の日のエピソードだった。
11時半に隣のイオンモールに行って、ATMから、計算の済んだセミナー講師の経費などを振り込んだ。外に出ると、雪が舞っていた。新潟などとは比べものにはならないが、淡雪で積もる事もない。画像に残そうと写メを撮ったが、後から画像を見ると殆ど分からない。僅かに、黒っぽい背景があれば、目を凝らすと何か分からない白い点々が見える程度の画像だった。
マンションに戻って、昼食の準備をした。メインは、ポテトサラダだった。ジャガイモ3個を茹でて、玉葱1個をスライスして水に晒してから微塵にして人参と和えてマヨネーズ、胡椒、味の素を混ぜた。
美味しかった。それと、昨夜作った麻婆豆腐をおかずにして食べる。夕食は、ポテトサラダ一品のおかずで食べ終えた。
そんな訳で、3連休を終えた。明日から、多忙な予定が連日埋め尽くされている。元気で風邪も引かずに頑張らないと。


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