ヤングケアラー支援へ学習参加
現在、自分の業務の中心となっている居住確保支援事業が安定して来たのでいつものパターンで、並行して新たな業務に手を染め出した。勉強は3年目に入ったヤングケアラーへの支援だ。
若い中高生という18歳以下の若年者が、家庭の事情で、親の介護や家事で学校から帰ると家族へのサポートに多くの時間を取られて勉強や友人との交流する時間を失って、ケアに多くの時間を使い一般的な学生の時間を過ごす事が出来ない。
中には、家計を支える為に多くの時間をアルバイトに投入してアルバイト料の大半を家庭に供出して、苦労を味わって社会に出て交流して普通の大人になることを阻害されている。やがて、学校にも行けなくなり退学に至る学生が多い。
その不遇に身を置いているヤングケアラーを支援して、社会生活に身を置いて貰おうと国もチカラを入れ始めている。その支援の輪を拡大しようと大阪府が主催したセミナーに午後から参加した。
10時過ぎに、三輪さんに迎えに来て貰って、天満の大阪府の集合施設「ドーンセンター」に向かった。1時からセミナーが始まるので、その前に昼食を頂こうと考えていたが、会場に着く前にでは早過ぎなので、一気に会場に着いて、併設してある駐車場に車を預けた。
未だ、11時にもなっていないので、歩いて数分先のOMMビル地下食道街に行った。全ての店を巡って検討したが、気を引く店が無かったので、通路で接続してある京阪百貨店8階グルメフロアに行った。
巡って、直ぐに決めた。火鍋専門店だったが、ランチは普通の中華料理だった。私は、何の変哲もない「ニラレバ炒め」で三輪さんは「炒飯定食」だった。本格中華だったので、コクがあって美味しかった。野菜が新鮮で、歯応えも心地良かった。
何といっても、デザートに付いてあった「杏仁豆腐」は、何度も本格中華店で食べて美味しかった「本格杏仁豆腐」と銘打っていた味そのものだった。満足して店を出ると、この中華料理店に入る前にスルーした九州鹿児島県の「ごかもん」という店に長蛇に列があった。
不思議に思ってパネルを見ると、九州各県の名物料理が食べ放題だった。残念、ここにすれば良かった、と悔やんだ。
戻って会場に入った。受付せずに、資料も入ったエコバックを頂いて、一番後ろの席に座った。不思議な並びで、二人分の席だけが並んで設置されていた。入場が1時からだったが、私どもは12時15分に、受付が始まる前に誰もいない会場へ入場させて貰った。
そこから、受付が終わりセミナーが始まる1時半迄、うつらうつらしていた。気付いたら、隣に車椅子の方がいて、そうかこの2人並びの以外の空いているスペースは、車椅子の方のスペースで、席は補助者の座る席だと知った。しかし、補助者は居なかったので、そのまま移動しなかった。
やっと話題がスタートする。社会福祉学者の湯浅誠氏のヤングケアラーの実体験をお話し頂いた。話しを聞いていると、私自身もそう言われてみればそのような時期があった。それは小学6年頃の話だ。
9歳下の弟が生まれた。母親は、働きに出て早くから不在だ。赤ちゃんが包まれて寝かされていた。動けない、泣くか足や手をバタ付かせているだけだったので、昼間の大半を一人で過ごしていた。私は、学校から帰宅してミルクを与えたりオムツを替えたり、そうして背負って街の中を散歩して、時にはビルの階段に腰を下ろして、前に抱っこして通過する車を見せていた。
凄く大人しく、泣く事は殆ど無かった。大きくなっても、感情を表に出す人間では無かった。そのような時間は、ヤングケアラーに該当しないと思っていたが、基調講演を行なった演者は自分が兄弟の面倒を見た事がヤングケアラーであって、ただ、それが自分の人生形成に役立ったというような結びだった。
私も、別に家で勉強していた訳ではないし面倒見たから本来の学生生活を曲げてでも面倒見ていた訳ではないので、本来のヤングケアラーではない。
続いて、夜間高校の副校長が登壇した。ヤングケアラーが、進学を断念したり学業を奪われて学歴を得られなかった生徒が8割近くだという。その配慮した学校生活を楽しく送れる雰囲気作りを聞いて、感動した自分がいた。
最後の公演は、大阪の社会福祉協議会の副理事長が、地域でのヤングケアラーを含めた市民の地域での居場所作りをお話しした。大変な事だが、心配なるのはその居場所後の社会人としての生活が維持できるんか、という事だ。
温室のような、ヤングケアラーが社会に出て守られてヤングケアラーファストの環境から出られるのか。というとだ。厳しい世間が、どこまで支援してくれるのか。自立して行くことが望まれる。
続いて、パネルディスカッションに移った。元々、時間が短かったので自己紹介パネラー3人が終わった時点で既に残り5分程度しか無かった。ディスカッションするまでも無く、閉会となった。
4時半丁度に会場を出て、午前中受け取れなかった宅急便を営業所迄受け取りに行った。宮城県塩竈市からの生物冷凍品だ。午前中出発する前も、東京からハンヴァーグの名店から、ハンヴァーグやビーフシチューが届いたので、事務所に寄って無くなったコメ5キロと共にハンヴァーグなどを持ってマンションに帰宅する。
刺激的なセミナーを聞き、美味しい物を受け取って戻ったので気持ちが良い思いだった。なのに、夕食は日清食品の袋の焼きそばだった。以前、それ用に作ったキャベツとモヤシの炒め物が残っていて気掛かりだった。貧乏性だな。


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