行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

最後の仕事、地域貢献へ

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 私の思いの根底に、地域貢献と言う言葉がある。最初から、持っていた訳ではなく事業が上手くいって、資金的に余裕が生まれて来た15年位前の事だった。仕事をしていて、課題にぶち当たる。解決策が無い。それだったら、自力で解決しよう、と思った。

 その一番最初の行動が。特定非営利活動法人の設立になった。設立した時の目的は、地域活性化だった。未だ、この当時は空き家と言う言葉はそれほど氾濫はしていない。大型商業施設ラッシュで、地域の商店街や個人飲食店や服屋さんなどが立ちいかない状態になっていた。

 この守口市でも13個所くらい商店街があったが、まともに商店街の形をなしているのは僅かに2つ程度だった。その再生を目指して何らかのインパクトを与えて見たい、と思って挑戦を開始した頃に成年後見制度にかかわざるを得なくなった。

 そうして、少し遅れたが商店街活性化を目指して、僅かに残った商店街の一角に自前の実験的店舗を設置した。当初の資金確保で自己資金1千万円に加えて政策金融公庫から300万円を準備して、まずは、自分の運営者としての能力を高めるために大阪商工会議所の半年に亘る研修を受けた。

 そのセミナー講師だった講師をサポートに迎えていよいよ店舗改修に取り掛かった。店舗作りにコンサルタントを招聘することを決めてネット検索して、トップに出てくる店舗作りや飲食店スタートアップに多くの本を著している伝説的な先生にメールでコンサルをお願いして、受け入れて頂く。

 直ぐに上京して、港区白金台のマンションにある事務所を尋ねた。何度か通って、遂に先生に守口市の寂れた商店街に来て頂いて、直接指導を受けた。セミナーの講師であった中小企業診断士が、余りの大物コンサルタントが来ると言うので、いつものラフな格好ではなくビシッとスーツに身を包んで、ご挨拶していた。

 コンサルタントには開店まで何度か来て頂き、開業までの店内改修や設計、店内のデザイン、キッチンの必要な冷蔵庫や冷凍庫などの設備、お皿やカップなどは当社のロゴ入りの素敵な備品を箸などの小物まで、全て揃えてくれた。店内の椅子やテーブルも高額だったが、高級感のあるものを調達してくれた。全て、コンサルタントの顔が効く、遠方の生産者から取り寄せてくれた。

 開店迄の短期間に準備が整って、流石だと感心した。開店前には、メニュー表作成や食材など取り寄せてくれた。そうして、メニューにある料理を自ら先生となった従業員に伝授して貰った。

 自分がやりたかった事業をするに当たって、文字通り金に糸目は付けない、という私の一見事業に対する意気込みに見えるが、結果的には暴走というか無計画な無謀な考えだっと思う。数千万円の投資で、回収が出来るのか、という懸念が浮上した。

 先ず、こんな田舎に東京の赤坂や六本木などの華やかな地域に素晴らしいお店を作って来たコンサルタントが作ったメニューは、カタカナや横文字で、どんな料理か分からない。お酒も高級な物ばかり、グラスなど高価で店舗外装も地域の人たちが入りにくい雰囲気で、スタートしたはいいが、直ぐに壁にぶち当たってしまった。

 また、開店に合わせたホームページを超有名企業に依頼して、何度も開店日に間に合うのか確認したのに、結果的に間に合わなかった。余りにも酷いいい加減な制作態度に。顧問弁護士に依頼して、損害賠償を求めたが、相手の巨大な企業も顧問弁護士を立てて来て、惨敗した。

 この時に、弁護士の世界も階級があって、レベルによって結果が決まるんだな、と知った。田舎弁護士など都会の弁護士など相手では無いのだ。

 これ以後、トラブルが色々と発生して、東京の弁護士が出て来ると結果がわかって、諦めた時が幾つかあった

 その上、この大阪の新たに雇った多くの従業員の働かない上にずる賢い勤務やウラオモテのある態度に呆れ果てて、次々辞めてもらい本体の社員を投入して行くことになった。

 いつの間にか、おしゃれなメニューは街の定食屋さんのメニューになって、朝から夜まで営業していた時間が、ランチだけの営業になる。アルバイトに任せていると、勤務時間を水増しして、全員がグルになって手の付けられない状態になり、売り上げが上がらなくなる。必要のない人員がいつもいる様になり、手の付けられない組織が出来上がる。

 都合の良いような環境がやって来た。新型コロナ禍である。狭い敷地に30席以上も設置してあったのだが、国の指導で言う間隔を適切に取るとなれば、数席しか設置出来なくなる。休業か廃業を選択せざるを得ない状態になった。始まっていた高齢者の居場所作りが、できなくなるのは、辛い事だった。口コミも相まっていつも満員だった。

 アルバイトは、集団と化して絶対に休業もしない、と営業を続けていた。しかし、休業補償が出るとなると、全員で休業します!申し出て来たので、休業に移行した。その後、労働局に虚偽の申し立てを行って、休業補償を不正に取得しようとした。

 私宛に労働局から、虚偽の申立書の写しが送られて来て、内容に意義がないか尋ねて来た。アルバイトとのメールを添えて、虚偽である事を申し立てた。勿論、不支給決定である。

 休業半年を経て、廃業を決定した。設備を外し高額な椅子やテーブルを撤去して高額な現状復帰費用を掛けて、退去した。私の長年の夢だった挑戦は、大きなマイナスを残して終わった。

 しかし、この活動が広まっていたようで、この後の私の立場や業務に大きな影響を与えた。公的な役に就く、時間が出来たので、行政書士事業を開始する。事業の見直しをして、事業再構築を計って大きな収益改善が出来た。コロナ禍で、大きく業績が改善されたのは有難い事だった。

 その生まれた収益を地域貢献に使う事にした活動は、始まったばかりだ。明日は、朝7時から地域貢献活動に効果が見込まれる企業のアイデア事業を導入したいと思い、説明を受ける。失敗を恐れずに挑戦して行く。