行政書士から拡張業務へ

基本資格行政書士を活用して代書屋からの展開

家庭の悩みを聞き、市役所職員のレベルに悩み

 早朝の7時から2時間ほど、資料の収集に努めた。そのきっかけは、未だ部屋も暗い未明の4時頃に目覚めてしまって、仕方がなく寝床でスマホを見た。

 その中で、地元守口市のホームページを見ると、市民センターの一角にある喫茶室が閉鎖していたが、事業プロポーザルにて賃貸するという。6年間で、最低限度額が990万円を超えていた金額が示されていた。

 6年間でで1千万円を6年で割って、12カ月で割った。家賃としては、少し高い。問題がある。喫茶ではない利用での事業でも良いのか、書いていない。

 私は喫茶店経営を一昨年まで商店街で行っていたが、人材を得ないと難しい。私が見ている時には真面目にやるが、任せるとサボりに徹して従業員がグルになって悪い事を考える。 

 ある時に、実家が八百屋の娘がいたが、売れ残ったものや腐った野菜を一般的の倍の値段でランチ食材として購入していたので、社員が実家に押し掛けてキツく諫言したが、大阪人はそんなの平気。 

 商店街理事長も、あそこはそんな事をやる様な家だと言っていた。

 従業員が5人全員グルになって、コロナ禍が怖いからと休暇を一斉に取った。労働局にコロナ支援金を一斉に申請して、会社が休む様に言って話し合いにも応じない、と嘘の申立をして雇用調整金を搾取しようとした。

 労働局から、文書でその発言などを記録したものを送って来て確認された。奴らとのメールのやり取りを保管してあったので、虚偽の申請を証明して支給はされなかった。

 その喫茶店は、コロナ禍で非接触設備を備えるより思い切って廃業する。しかし、黒字になる運営ノウハウは掴んだ。もう、人を使う仕事はゴメンだ。

 プランとして、一応、喫茶店の機能は残しながら、ある分野を中心にした活用をイメージしている。その申請様式一式を、要領を読みながら申請書作成準備に向かった。

 午前中、同一の相談者から何度も電話があった。合計50分の話しを聞いた。家庭の事情をつぶさに披瀝されたので、私も親族の様に真剣に対応する。

 ある年齢になって、この様な立場に立つ事だけは避けたいと、いつも思って生きて来た。ただ、女性と男性では昭和を生きた私どもにとって、生まれたのが早過ぎた、と思うに至った。

 私の母親もそうだったが、どうしようもない親父に、子供5人と母親が苦労に苦労を重ねて家族バラバラに成らざるを得なかった。

 私自身、兄に続いて、18歳で生まれた故郷仙台を出て、二度と故郷に居住することは無かった。母親は、弟3人をを連れて転々とする。時には、会社の寮に管理人として住み込み、弟3人はバラバラに東京などに散った。

 実兄とは18歳から50歳迄、会う事もなく、会って数年で実兄は逝った。やっと母親への報恩の気持ちを表す事が出来るのは15年ほど前で、一昨年逝ってしまった。

 一番下の弟とは、私が20歳の時以来50年以上会っていない。

 誰かに聞いて欲しい話しを、自分のことの様に聞いて、何とかしてあげたいと、感情移入を仕掛かって抑えるのが必死だった。

 色々とアドバイスをしたが、当然だが意思を決定付ける言葉は控えて、自分の意思で選択できる様な言葉を心掛けた。

 午後から、先日亡くなった死後事務委任契約を締結していた方の死後事務に動いた。

 K市役所に行って、死後事務手続きを行った。先日、H市役所での手続きのときには、H市役所ホームページに「お悔やみ」のコーナーがあって、アクセスし「はい、いいえ」で答える設問に回答して行くと、最後に必要な手続き一覧と様式が分かりダウンロードした。

 それを、記載してから市役所に行ってそれ専用の窓口があり、手続きをする為のタライ回しはないので一日で終わった。

 さて、K市役所であるが、そんなものは無くて、行って総合窓口で、

 「最初に行く市民課の場所を言いますので、そこに行ったら案内係が居るので、聞いて下さい。」

 案内係に言うと、ロッカーから死亡した時の手続き一覧と部署が記しているパンフレットくれた。今日は、2か所と決めていて、一番上に書いてあった健康保健課に向かった。

 番号札を取ってしばらくすると、番号を呼ばれた。少し、嫌な感じがする中年の女性職員か。一通り説明して、

 「身寄りが無い方が亡くなったので、手続きに来ました。」

 「あなたは、どの様なご関係の方ですか?」

 「死後事務委任契約を交わした者です。」

 と、言って契約書原本を渡し、確認して貰う。

「その契約書は裁判所の許可を貰っているんですか。後見人でも無いですよね。」

 なんで相対契約の死後事務委任契約に裁判所の許可がいるんだ、と思った黙っていた。いつもの事だ。

 「認知症ではないので、後見人では無いです。」

 「裁判所から許可を貰っていないので、広域連合の方に確認しますので、暫く、待って下さい。」

 そう言って、原本を奥の方に持って行った。

 H市役所の話しだが、コピーを撮らせて欲しいと言って、事務処理は淡々と進んだ。

 今度は、葬祭費用の5万円の支給額手続きだが、葬儀の支払い領収書を求められて持っていた40万5千円領収書を出した。

 私が立て替えて支払った。領収書の宛名は。ご本人の支払いで処置するので、領収書の宛先は亡くなったご本人宛だ。

 「本人は亡くなっている訳ですから。」

 「その場で、請求されて新潟から来た姪が、持ち合わせが無く困っていたので、私が立て替えて支払いました。」

 「亡くなった方のお金で支払ったんですか?」

 「いえ、自分の手持ちから支払いました。」

 「葬儀費用の補助金は、喪主様にお支払いするものですので、どなたが喪主ですか?」

 「一応、身近に親族がいないもので、新潟から遠縁の方に来て貰いました。」

 死後事務委任契約書には、私が葬儀の主宰者になっている。

 「確認して来ますから、暫く、お待ち下さい。」

 と言って、奥に引っ込んだ。

 私は、余裕の態度で三輪さんの顔を見て、どうせなんの問題もなく、手続きが進行して行くから、と笑った。

 暫くして戻って来た職員は何も言わずに、書類を出して、指し示して住所や氏名などを書くように指示した。

 1枚目の作成が終わって、次の用紙に移ると私の振り込み先の銀行口座番号などを書けと言う。ネットバンキングだったので、携帯電話にて調べて分かったが、普通であれば預金通帳など持って歩かない。

 向かい合う職員の手元には、先程見せて奥に持って行った私と故人が交わした「生前及び死後事務委任契約書」コピーがあった。無断で撮った様だが、普通は断るものだ。

 結局、この職員が何も知らなかっただけで、全て、なんの問題もなく手続きは終わった。H市役所とk市役所は、こんなに違うのだ。

 次に、介護保険課に行って介護保険利用の終了と還付手続きの為の書類送付先変更し手続きを取った。

 いつも余裕を持って仕事をするのが主義であり、継続して集中出来る。今日は、この二か所で終わりにした。